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教育に関心を持つ日本一周ヒッチハイカーが儚き世を刹那的に楽しみ、明日も最高に立ち向かうための考えを発信していきます。

【介護等体験に行った!】高齢者と接して自分の中の色んな前提が覆った話

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ちょうどこの一週間、特別養護老人ホームへ介護等体験に行って参りました。この介護等体験は、教育実習と並んで教員免許を取得するにあたり必須です。

今回は5日間の体験でしたが、普段子供たちと接していることが多い僕にとって、80代、90代と交流できたことは衝撃の連続でした。今日は、その体験記をまとめます。

 

何のために生きるのか

初日、施設に足を踏み入れて一番に得た感想は、「なんだ、このどんより感...」っていう重苦しさ。全身の筋力が衰えて一人で歩くことが出来ない人、発語すら出来ない人、頭がぼけて自分が今何をしているのかも分かっていなさそうな人、生気を失った人達が車イスにぐったりと座っていた。

目があって挨拶しても、反応はない。言葉は悪いけど生きながらにして生きていないようだった。

ここでこのまま死を待つだけなのか....? 一体何のために生きるのだろうか....?と思うと、何とも言えない虚しい気持ちになった。これからの5日間で、この問いに向き合おうと心に決めた。

 

生きがいを持たせるにはどうすればいいか

実際に僕が関わった先は、病態がそこまで酷くない方達のところだった。それもあって、さっき見た「どんより感」は無くて、コミュニケーションを普通にとることが出来た。

ただ、4人ほどと交流していく中で、2通りの人がいることが分かった。

①生きることを楽しんでいる人 と、

②生きる楽しみを失ってしまった人。

 

「孫によう似とるわ~。」と、ずっと笑顔で笑いながら接してくれる人もいれば、「死にたい。」「昔はよかった」といった悲観的な言葉を発する人もいた。まさに、生き生きとしてるvsしてない、の対極状態だった。

これを受けて、両者の差は何か色々考えた。そして、

希望

を持っているか否かが1つの差だと感じた。残り少ない人生に、"望み"を持っているかどうか。

死をまだまだ先に感じる僕たち若い世代が、普通に暮らしてて「希望」を失うってまず無い。今回、余生が短い人と接して初めて得た視点だった。

 

では、どうして希望を失っているのかというと、辛い「今」から逃避して「過去」に固執しているからだと感じた。

「昔はよかった。」「そんな時代もあったっけ。」

っていう言葉からもそれが受け取れた。だから、わずかな実習期間だけど

今この瞬間を楽しませてあげよう。笑わせてあげよう。

と心に決めた。

 

尊厳とは一体なにか

高齢の方と接すると、今までの前提が覆されることがある。

例えば、「学び」について。

何のために学ぶの?って考えた時に、その答えは

・生きる力を身に着けるため

・社会貢献するため 

だったりする。

 

けど、認知症の方と接した時に、自分の中の学びの定義が崩れた。

タオルをたたんで丸めておしぼりを作るっていう軽作業をしたときのこと。

その高齢者の方は認知症で、タオルのたたみ方や丸め方を教えても10秒もすれば、全部忘れてしまう。確かに理解したはずなのに、10秒後にはまるでその事実が無かったことかのようにどこかへ行ってしまう。

そんな出来事を目の当たりにして、

この方にとって学ぶ意味はあるのだろうか。一体なんのために学ぶのだろうか?

と感じた。

 

 今実習が終わって気付いたのは、

意味なんて無かったってこと。そして、あったのは尊厳だってこと。

結局、学ぶ意味なんて人それぞれ違うものであって、それは押し付けるものではない。この認知症の方の場合、学んだことを忘れてしまうんだから、学びそのものに意味はない。

けどそこにあったのは、命ある限り何かに挑戦する意思と生命の活力そのものだ。

それを重んじる態度こそが、彼自身の尊厳を尊重することだった。

 

実習を終えて

この他にも、色んな気付きを得たけど、人に関してはこんな感じ。

悲観的な高齢者の方には、この瞬間を楽しんでもらうために、自分自身バカになって色んなことをした。顔の体操で変顔したり、コスプレしてバカな踊りしたり、紙とペンを使ってゲームも考案してみたりもした。

正直、希望を与えられたか分からない。完全自己満足で終わってしまったかもしれない。けど、笑顔を指標にしてみた時、顔がほころんだ瞬間が増えたように感じる。

 新しい環境に入って、色んな気付きが得られた5日間でした!