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教育に関心を持つ日本一周ヒッチハイカーが儚き世を刹那的に楽しみ、明日も最高に立ち向かうための考えを発信していきます。

自分の非を認める事の出来る子供たちを増やし、他者の非に寛容な社会を作るために

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ごめん...

 

って、誠心誠意つたえることって簡単そうだけど、意外と苦手な人もいる。

僕もその一人。

 

謝ることは、自分の非を認めることで、自分の不完全性が明らかになる瞬間で、同時に、全ての責任を背負う覚悟もいる。

 

だから、何だか気恥ずかしいし、つい外部に責任を転嫁しがち。

 

その傾向は、芸能人や政治家のスキャンダル報道なんかを見てても明らか。自分の非を認めずに、どうやったら自分を守れるかしか考えてない。

「謝ったら負け」みたいな空気が確かに存在していて、それが原因でみな保身に走る。

 

ちなみに、

「謝る」という行為と、「非を認める」ことは全く別物。

謝ることは容易いが、自分の非を認めることは簡単ではない。

もう一度いうと、それは「自分が劣った種である」「不完全な種である」という現実を直視しないといけないから。

 

残念なことに、今の日本社会は、そんな「人の不完全性」を徹底的に叩く世の中だ。

タレントのベッキーさんと、「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音さんの不倫に関しても、再起不能になってもおかしくないくらいに徹底的に叩く。

ワイドショーを見たおばさんたちや、SNSで他人の揚げ足を取りたがるような人たちも一緒に、とことん叩く。

そんな社会風潮であるが故、自分の非を認めることに対するハードルは高くなっているように思う。

 

 

さて、何が言いたいかというと、

大人の世界でもこんなんだから、子供にとっても「自分の非を認める」ことはとても難しい。例えば、子供同士のいざこざで、自分の非を認めてしまうと、

 

・先生、親に叱られる

・仲間外れ&いじめに遭うリスクが高まる

・友達に負ける(自尊心が崩れる)

・周りから認められなくなる

っていうリスクを抱える。

 

子供たちにとって、学校が世界の全てだから、子供にとってはこれらは大人の想像を超える死活問題だと思う。

 

自分の非を認めない生き方の何が悪いか

自分の非を認めなくても、生きていける。

うまく責任を外部に転嫁して、「世渡り上手」的に生きていけないこともない。

 

ただ、大人にもなって、謝ることすら出来ないのは、超ダサい。

 

ダサいだけでも、僕は嫌だけど、自分の非を認めないことのデメリットも多くある。

 

自分に原因があるんじゃなくて、周囲の環境や人に原因があるって考えるから、いつまでも文句を言い続けて、いつまでたっても解決しない。つまり、自分の非を認めなければ、人の成長は完全に止まる。

 

加えて、自分の欠点を隠そうとするその姿勢は、自分の能力を客観的に把握することも出来ないし、自分の不完全性を認められないことは、自己肯定感の欠如、自信の欠如にもつながる。

 

人は生まれてから死ぬまで、ずっと不完全性を兼ね備えた存在なんだから、もう不完全な自分を認めちゃったほうが潔いし、その方が事はスムーズに進む。

 

だから、自分にも他者にも素直になって潔く生きる人が増えてほしいし、そういう子供も増えてほしい。

 

人が「自分の非を認める」ことが出来る社会にしていくために

「子供は大人を真似る」というのは、生物学的に考えても合点がいく。

トラも、半人前から一人前に狩りが出来るようになるまでは、親を真似ながら一緒に狩りをするし、僕たち人間も、いつになってもずっと「大人っぽい」に憧れる。

 

子供が、大人を真似る以上、大人は子供に背中で見せていくしかないと僕は思う。

些細なことからでも、「自分の非を認める」という行為を子供に見せていく。

 

子供の前で「非を認める」って、ダサい。

けど、それを言い逃れようとするのは、もっとダサい。ダサすぎる。

 

子供との関りの中で、もし自分が何か過ちを犯したのなら、潔く認めて、誠意を込めて謝ることを実践すれば、子供はそんな姿をしっかりと眼に焼き付けている。

 

実は僕も、先日、働いている放課後等デイサービスで子供に対して過ちを犯してしまい、ほんのちょっとの勇気を振り絞って、

ごめん

と真正面から伝えた。

ダサいけど、そんな僕の姿を見た子供も、誠意が伝わったのか、何かを言い立てることもなく、素直に気持ちを受け取ってくれた。

 

子供はしっかりと僕たちを見ていて、日々色んなことを感じ取っている。

 

自分に素直な子供を育てるために、まずは僕たちが自分の非を認めていこう。

そして、そんな人が現れたら、責め立てることをせずに、寛容に受け入れてあげよう。

そうすれば、小さなところから少しずつ社会は変わっていく。