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教育に関心を持つ日本一周ヒッチハイカーが儚き世を刹那的に楽しみ、明日も最高に立ち向かうための考えを発信していきます。

【コンプレックス克服】堀江貴文さんにも、強烈なコンプレックスがあった。

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みなさんは、コンプレックスをお持ちだろうか。

コンプレックスは、一般に「劣等感」のことで、自分の「嫌いなところ」や「弱さ」

が、それにあたる。

 

コンプレックスがあることは、特別なことじゃない。

むしろ、無い人の方が、本当にごく稀だ。

 

一昔前に話題になった、著書「ゼロ」にも書いてあったけど、あのホリエモンの愛称で知られる、堀江貴文さんですら、自分のことを「コンプレックスの塊」と表現している。

 

僕は「私○○がコンプレックスなの」と公言できることは、コンプレックスではないと考えている。

本当に、自分の嫌な部分というのは、自尊心が邪魔して、人に伝えることすら阻まれてしまうから。

ダサくて、弱っちい自分を、まるで無いもののように、自分の奥底に鎖で封じ込めようとする。それは、自分だけしか知らないある種の秘密のようなものだ。

そんな強烈なコンプレックスを抱えている心の内は、どこか濁っていて、息苦しいの一言に尽きる。

 

さて、堀江貴文さんの「ゼロ」を読み返してみると、堀江貴文さんもそんな苦しみを抱える一人の人間なんだということが分かる。ルックスに劣等感を抱えて、女性関係においてとにかく自信がなくて、キョドることもあったそうだ。

 

けど彼は、刑務所に収監された経験を通じて、大きく生まれ変わった。

社会が作り上げた「ホリエモン」ではなく、一人の「堀江貴文」として。

 

 コンプレックスは、ただの幻

最初に言っておくと、自分のコンプレックスは、全て自分が作り上げた幻想だ。

それらは、すべて自分だけにしか見えていない。

 

例えば、体型が太っていて、自分の中で物凄くコンプレックスだ、と思っている人がいるとする。

もちろん、ウエストが○○cmで…とかいった客観的事実は存在するんだけど、それを太ってるかどうか決めるのは、自分の主観だ。

だから、傍から見たらそうでもなかったりする。

 

僕も、高校時代に部活を挫折しそうになったときに、他の部員から、「ガラスのハート」

と笑われたことがあって、これがすっかり自分のコンプレックスになってしまったことがある。

それ以来、心の弱さを隠すために、ひたすら「鋼鉄のハート」を装って生きた。

それでも大学時代に、入ったゼミを挫折して弱さが露呈してしまった時なんて、もうコンプレックスの塊だった。人に会いたくないほど、自分を否定し続けた。

 

だが、そのことを思い切って友達に告白すると、

「ふーん、そうなんだ。」

みたいな感じで軽くあしらわれたことを鮮明に覚えてる。

 

こうやって考えると、本当にばかばかしい。

周りにしてみちゃ、俺のコンプレックスなんてどうでもいい。気にしてるのなんて自分だけで、勝手に怯えてるだけなんだから。

 

コンプレックスの認識を変える

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けど、見えてるものを「幻だ!」と言われたところで簡単に信じられないのが人間だ。

それ故、コンプレックスというものは、簡単に消えることはなく、人々の心に居座り続ける。

 

コンプレックスを解消するためには、それが自分にしか見えていない幻だと、自分で認識を変えるしかない。

 

堀江貴文さんは、「ゼロ」の中で、自身の女性に対するコンプレックスの原因は、

経験の不足

だと著している。

自分の目の前にある、恐ろしき幻が本物かどうか確かめる経験だ。

 

いつまでもコンプレックスから抜け出せないのは、コンプレックスという名の、幻の真偽を確認として、認識を変えようとしないから。

 

コンプレックスの塊だった僕も、就活のときに徹底的に、自分の中の幻想を洗い出した。

そして、その「弱さ」をとにかく人に話しまくった。

全ては、自分のコンプレックスが幻であると、見切るために。

 

コンプレックスを克服するための小さな勇気

コンプレックスを人に話すなんて、めちゃダサいし、見苦しい。とてつもなく怖いから、勇気もいる。

けど、話してみると、相手の反応は自分の想像以下だった。ドン引きされたり、離れていってしまうんじゃないかっていう不安は杞憂に終わった。

 

ああ、全部幻だったんだ。

そう認識できれば、自分の勝ちだ。

 

自分の弱さを認めて、人に話してみるという行為は、本当に怖いけど、

それだけ自分を変えるだけの強力な力を秘めている。

 

堀江貴文さんも、刑務所で収監されていた時、自分の身の回りの全てのものが剥がれ落ち、コンプレックスにまみれた自分が露わになったはずだ。

そんな自分を直視し、認めることは、胸が張り裂けるくらい辛い経験であっただろう。

 

しかし、それがあったからこそ、「ゼロ」では、彼のありのままの姿が語ることができ、多くの人を勇気付けた。

堀江さんは、数多くの書籍を出版されているが、この一冊は彼が新たな堀江貴文として生まれ変わるきっかけになった、彼にとっても大きな意味を持つ本だと僕は思っている。

 

大丈夫、そんなの大したことない

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何度も言ってきたけど、コンプレックスはすべて幻だ。そんな幻に、苦しめられるなんて本当に、バカバカしい。

けど、堀江貴文さんを始めとして、世の中には、それが幻であると、認識を変えた人も大勢いる。

 

もし、コンプレックスを克服したいのなら、一度信頼のおける人に、暴露してみてはいかがだろうか。家族や知人に、話しにくいのなら、カウンセリングサービスを使ってもいい。

自分で認識を変える経験を積んでいけば、コンプレックスは間違いなく消えていく。

 

ちょっとの勇気を振り絞って、一歩を踏み出そう。

大丈夫、あなたなら出来るはずだ。

ブレない、自信のある、自分になるためには、「自分だけのコンパス」を持つこと

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社会に出て働きだすと、いつしか人は多忙になり、時間に追われ、見えない何かにずーっと追い回されてる妙な感覚が残る。

 

気付けば、

一体自分は何をしているのか、

一体自分は何者なのか、

何のために働いているのか分からなくなる。

 

そんな時の人は、自分の行方も分からぬまま、ただただ盲目的に走り続ける。

これが、いわゆるブレの状態。

 

ブレてる時の人は、自分の進む方角に確信が無いから、どこか自信が無く見える。

自信が無いから、その走り様に力強さは感じないし、道なき道を切り拓く事もできない。

 

森の中で迷子になった時、闇雲に走っても抜け出せないように、ブレから抜け出すには、確かな目印となるもの、つまり

コンパス

を持つことが必要だ。

 

コンパスにも、いくつか種類があるだろうが、ここでは、「人生の指針となるコンパス」について一緒に考えていきたい。

 

 ブレやすい世の中 

そもそもブレてしまう原因に、時代の荒波の影響がある。

 

 これまでは、いい大学に入って、安定した職について、結婚して、子供を産んで、家を買って…

っていう人生観が一般的だった。

よく「レールの上に敷かれた人生」と表現されることが多いが、確かに人生設計の王道モデルとして、人々の基準となっていた。

 

しかし、インターネットの普及により、いとも簡単に、莫大な情報と、多様な価値観に触れる事のできる社会になり、特に近年はスマホの普及で、その流れは猛スピードで加速している。

 

学校や大学の存在意義が問われ、

安定より、やりがいを仕事に求める若者が増加し、

結婚をしない選択も特別ではなくなり、

持ち家vs賃貸の議論なんかも見られるようになった。

 

これまで盲目的に信じてきた、当たり前の常識が見直されて、正解を自分で見つける世の中に移り変わっている。

 

人がブレるのは、これまで正しい方向を指していると思ってきたコンパスが、使い物にならなくなってきているから。

そして、正解を自分で見つける社会には、コンパスは人の数だけ無数に存在しているから。

 

ブレないために、自分に問うてみる

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ブレないためには、自分だけのコンパスを見つけるしかない。

他人のコンパスを模倣しても、それが指し示す方向は、どこまでも他人の道であって、自分の道ではないから。

 

だから、ブログや本を読んだから、ブレなくなるなんてことは、本質的にありえない。

仮にその時は、ブレなくなったように感じるかもしれないけど、根がしっかりしていない木はすぐにグラついてしまう。

 

ブレなくなるためには、他人の解ではなく、自分が心の底から納得のいく指針を、自分で見つけ出すしかない。

 

自分だけのコンパス見つけ

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自分のコンパスを見つけること、と何度も言ってきたけど、

コンパス見つけ=信念の言語化

と考えていい。

 

今まで見えなかった、人生に対する自分の信念や想いが、パァーーッと、客観的に見えるようになったとき、パラダイムシフトは初めて起きる。 

言語化とは、頭の中のものをコトバとして取り出す、まさにそんな作業のことだ。

 

そして、自分の信念を言葉として取り出すことは、

自分との対話

を通して行われる。

本当に一貫した自分を確立したいのなら、繕った自分ではなく、本当の自分と真剣に向き合うことが必要。それには、強い覚悟がいる。

 

まだ、自分の信念がまったく見えていない人は、以前のこの記事が参考になると思う。

asulog.hatenablog.com

 

魔法の言葉「何のためにしてるの? 」

 さて、森をさんざん彷徨った末には、こんな問いを突き付けられるだろう。

 

何のためにしているの?

 

この問いは、自分をあるべき姿に導いてくれる、魔法の言葉だ。

ブレない人ほど、この自問自答を頭の片隅にずっと置いているように思う。

 

ちなみに、この答えは正解はないし、人によっても当然違う。

同じレンガを積むという作業でも、

ただ単にレンガを積んでいる職人もいれば、教会を作っている職人もいるし、人々の憩いの場を作っている職人もいる。

 

大事なのは、その答えに確固たる自信を持っているか。

なぜなら、その自信こそが、ブレない力そのものだから。

 

 けど、自分の答えに自信が無くても大丈夫。

 

もう一度落ち着いて、自分と対話すればいいし、答えは自分の価値観に隠れているはず。

 

コンパスを見つけた先にあるもの

こんな正解がない世の中なんて、生き辛いと思う人もいるかもしれないし、確かにその気持ちは分かる。

僕も、ずっともがいてきたし、決められたことをこなすほど、楽なコトはない。

 

けど、自分の生き方や信念を見つければ、間違いなく生きやすくなる。

ネットの情報にいちいち踊らされることも無くなるし、ぶつけられても折れない芯が出来る。

そんな状態は、自信に満ち溢れてて、毎日心を弾ませながら生きていける。

 

時にはコンパスを見失うかもしれないけど、そのときはまた「魔法の言葉」に立ち返ればいい。

 

大丈夫あなたなら出来る。

【自分らしさ】どんなしがらみがあっても、自分らしく居続ける大切さ

ちょうど先日、とある小学校に2日間、教育研修に行かせてもらった。

日中は授業を見させてもらって、授業後は放課後教室で20分の英語の授業をさせてもらうといった感じ。

 子供の時から感じてたけど、学校には学校特有の空気感がある。

うまく言葉に表せないけど、学校の敷地に足を踏み入れると、どこかスイッチが入るような、お尻の穴が引き締まるようなあの感じ。

 

けど、今の自分にとってこの空気をまとった学校や子供たちは、とにかく新鮮で成長の可能性に満ち溢れている、ある種の美しさを感じさせるものだった。

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この2日間で、ひとつ明確になったことがある。それは、

 

どこまでも自分らしく、自分の想いに愚直に生きていこう、という想い。 

 

自分らしさを大切にして、自分の想いにバカ正直に生きていく。

 

これは、学校現場に限らず、社会で心をワクワク踊らせながらイキイキと働いていくためには、とても重要なこと。

 

けど、一見こんな簡単そうなことでも、社会に出ると、急に何かが噛み合わなくなって、パタンと上手くいかなくなってしまうことが本当に多い。

 

なぜならば、人は生きていくうちに、

・色んなしがらみを抱えて、

・「守り」の姿勢に入ってしまう

から。

 

自分の想いに愚直な人は、常識の枠から外れることがあって、すると「社会不適合者」のレッテルを貼られてしまうのが今の日本。

そして、そんなレッテルを貼られることを恐れて、守りに入ってしまう人が大勢いる。

 

これって考えてみれば、何かと輪を乱せば「学級不適合者」扱いを受けてしまう、小さい頃からの学校教育と、とても似てる。

現に、怒られないために、自分らしさを抑えて、「いい子ちゃん」になってる子供もたくさんいる。

 

結局、子供から大人まで、こんなペチャンコに押しつぶされそうなほど窮屈な、日本社会で生きてるわけだけど、

これって本当におかしいし、どうにかしたい。

 

こんな窮屈な社会じゃ、自分らしさを全面に出した、本来の力が発揮できるわけがない。

 

 当然、学校の先生も色んなしがらみを背負っている。子供だけじゃなくて、保護者や学校の期待や重圧もある。  

 

気付けば、がんじがらめになっていて、自分が一体何者なのかも分からなくなっている先生も一定数いるかもしれない。

 

けど、先生自身が「しがらみフリー」な状態で、自分の想いに愚直に生きていく姿勢を背中で見せていかないと、

子どもたちはいつまでも、本当の自分を閉じ込めた窮屈な状態から解放されない。

 

だから、僕は自分にまきついてくるしがらみを、いつまでも振り払える人でいたいし、僕は自分の想いに愚直に生きていく。自由に大空をはばたく鳥のように。

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【言葉が秘めた可能性】自分の想いを実現するために、素直なコトバで発信していく

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最近、自分のコトバを研ぎ澄ますことばかり、ずーっと考えている。

そもそも、何でコトバに関心を持つようになったかというと、勝間和代さんのメルマガがきっかけだった。

読んだことがある人なら分かると思うけど、勝間さんの文章は、まるで、清らかに流れる小川の水のように、サーッと頭の中に流れ込んでくる。

 

これはなぜかというと、言葉のチョイスや言いまわしがとても秀逸だから。

それは造語であったり、比喩のおかげであったりするわけだけど、難しそうな話でも、文章を目で追ってるだけで「ふむふむ、なるほど!」という納得感が腹の底から湧いてくる。まるで、言葉に魔術がまとわりついているようで、自分の頭が良くなったような気になるのだ。そんな「勝間ワールド」にすっかり魅惑されてしまったことが事の始まりだ。

 

そんなコトバを知れば知るほど、奥が深いことが分かってきた。

例えば、同じことを伝えるにしても、言い方ひとつで相手の反応がガラッと変わる。

 

ちょうど先日、小学3年生のテニスの教え子にレッスンをしていた時の話だけど、ボールを追っかけるのが明らかに遅くて、ラケットの準備が間に合わず振り遅れていた。

これをアドバイスする時、そのまま伝えようとすると、

「ボールの場所に早く行って、早く構えてね」

と、つい言ってしまう。

 

けど、そんなことは子供も何回も言われているから分かっていて、結局体で理解できていないから、いつまでたっても出来るようにならない。

ちなみにこの時は、

ボール君との待ち合わせ場所に早く行ってあげて!喜ぶから!」

と伝えた。

 

すると、「なるほどお!!!!」っていう表情をして、徐々に行動も変わっていった。

 

人は、コトバを自分の経験とリンクさせて理解するため、経験が少ない子供ほど、自分の伝えたいことを伝えるのって凄く難しい。

この「なるほどお!!!」ってなった時も、子供は、自分が友達と遊ぶ経験を想起させたはずだ。

「集合場所で友達を待つ」っていう過去の経験が、「ボールを早く待つ」っていう外部からの情報とつながったのだ。 

 

僕自身、この時の子供の反応を見て、言葉のポテンシャルを凄く感じるようになった。

本当に探求しがいのある分野だなと思う。

僕は、これから学校現場を始めとして教育に携わっていくけど、

「子供たちの自己肯定力と自己実現力を高める」っていう自分の想いを体現していくためには、コトバを使って子供に自分の想いを心に響かせる必要があるから。

 

けど、僕は話すことも書くことも、ぜんぜん得意じゃないから、今、猛烈にコトバ遊びにはまりながら、自分の変化を楽しんでいる。

 

大好きな村上春樹の小説を読んで、最高峰の比喩や、造語、擬人化などの用法に触れて、自分の言語中枢にピリピリと刺激を与えている。

名作家さんの小説は、一文一文が精巧に練り上げられているものだってものが分かるし、人間技とは思えない比喩表現に出くわすと本当にテンションが上がってしまう。

 

こんな感じで、これからは、素直な言葉で発信していくことを意識していく。

対人においても、ここのブログにおいても、自分の心象風景をズバッと素直なコトバで表現していく。

便利なコトバに頼らずに、自分を自分のコトバでしっかりと表現していく。

それが、素直に生きていくことにつながっていく。

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やりたいことを見つけるための原理①~自分の「世界地図」をひろげること

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こんにちは。

 

ちょうど先日、何人かの小学生に「将来やりたいこと何かある?」と聞いてみると、

「分からない」

と返事が返ってきました。

後日、今度は中学生に同じ質問をしてみましたが、曖昧な答えしか返ってきません。やりたいことが無いと、いけないみたいな空気感はありますが、

やりたいことがないことは悪いことではなく、いたって自然なことのように思います。

 

そもそも、大人に同じ質問をしても、明快な答えが返ってくることのほうがレアですから、やりたいことがある子供なんてレアのレア、まさに超絶レアです。

だから、自分の子供や教え子が、今の時点でやりたいことが無くても、全く問題ではありません。「やりたいことが分からない」という返事が来たら、

「そのうち見つかるよ!」

くらいの軽い気持ちで見守るのがいいのではないでしょうか。プレッシャーを与えても、無いものは無いのですから。

 

さて、今日は「やりたいことを見つけるためにはどうするべきか」ということを考えていきます。 

ちょうど先日こんなツイートをさせて頂きました。 

 

ずっと不思議に思っていたことがあって、世の中には、

一回きりの人生じゃ足りないくらいやりたいことがたくさんある人もいれば、

やりたいことが何もなくて、生ける屍のように、日々を過ごす人もいるということです。

まるで、前者の人が持ってる地図の上には「お宝の場所」がまんべんなく記してあるのに、後者の人の地図の上はスカスカで閑散としているように。

 

実は、同じ世界に住んでても、やりたいことがある人とない人では、見えている世界の、

「幅と深さ」

が全然ちがいます。やりたいことがある人は、自分の身の回りの環境だけじゃなくて、世界中が幅広く見えてて、物事の本質を捉えています。つまり、

「大きくて精密な世界地図」

を持っているのです。だから、やりたいことの目的地がくっきりとしてる。

 

世界地図の「幅」とは

例えば、よく留学して「人生が変わった!」っていう話ありますよね。

あれは、普段生活している環境から抜け出して、まったく生活基盤が違う人たちと交流して、多様な価値観にふれることで、

自分の「世界」で当たり前だったことが当たり前じゃない

ことに気付くからです。つまり、「世界の幅」が拡がることを意味します。

 

フィンランドに留学した人は、高水準な教育システムを目の当たりにして、日本の教育に問題点を見出して帰ってくるかもしれないですし、

アメリカに留学した人は、そのオープンな人柄にふれて、日本人のクローズドな気質を強く実感するかもしれません。

アフリカの飢餓問題や、紛争現場を目の当たりにした人は、そういった国際問題に関心を寄せるでしょう。

そんな強烈なパラダイムシフトが、引き金となって、自分のやりたいこと・やるべきことのエネルギー源になるのです。

 

もし、そんな世界があるってことを知らなければ、「これがやりたい!」なんていう感情がめばえることはありません。

だから、やりたいことが無い多くの子供たちの場合、単純に「地図の幅」が狭いことが理由です。自分の限られた「小っちゃな世界地図」からお宝を見つけることは難しいのです。

 

さて皆さんは、自分のやりたいことが、全て自分の認知している世界の内側にしか生まれてないということに対してどのように考えるでしょうか?

また、子供の「やりたいこと見つけ」のために、世界を拡げてあげるために何か取り組まれているでしょうか?

 

次回は、

・この「地図の幅」を拡げるためには何が必要か

・「地図の深さ」を深めるためにはどうすれば良いか

について順番に見ていきます。

【言語センス】子供の心に想いを届けるためにボキャブラリーを増やしたい

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ブログを始めたこともあり、言葉について考えることが増えた。

どうすれば読んでくれる方の心を揺さぶることが出来るか

どうすれば読んでくれた方に目から鱗の体験を与えられるか

 

書く習慣はこれまでもあったけど、誰かに「書き渡す」習慣というものが無かったため、今こうして手を動かしていると、つぶれてしまいそうなくらい脳に負荷がかかっていることが分かる。そんなこともあって、当然ブログを書いていると、執筆時間もかさむ。2000字程度でも、3時間はかかってしまうのが今の状態。

けどこの脳も、筋トレと同じように、もがき続ければもがき続けるほど、どんどん筋力をつけて、今まで持ち上げられなかった重さも、ラクラクと持ち上げられるようになると信じている。

 

さて、今回考えていきたいことは、この「言語脳の筋トレ」を続けた先にある言葉の可能性について。

これまでずっと僕自身の難題として頭に居座り続けてきた、

子供の心に届く伝え方

を身に着ける答えがここにあると確信している。

 

子供に自分の想いを届けるのって本当にむずかしい。例えば、問題行動を起こす子に対して、何回伝えても、いっこうに改善されないことがある。これは、自分の想いが子供に「感覚」として伝わっていない証拠だ。

子供は、大人よりもボキャブラリーが少ないし、頭で考える力も発達していないから、

直観的に分かる、かんたんな言葉

じゃないと伝わらない。

 

ちょうど、最近「うんこドリル」が小学生の間で爆発的なブームになったけど、このドリルが子供に大ウケした理由は、「うんこ」という言葉が、頭にフワッと思い浮かべることが出来て、ピピピッっと直観的に理解できるものだから。

 

このドリルを見た時、子供は、自分の過去のうんこに纏わる経験と無意識に結び付けて、「簡単で面白そうだ!」と身体で認識したはず。

 

 

同じように、先日こんな記事(「何のために勉強するの?」に対する本質的な答え。 - MUJO)を書いた。けど、子供に勉強する目的を理路整然と伝えたとしても、

「ハッ!そういうことかっ!」

と心で理解してもらえるとは限らない。子供に心で分かってもらうためには、うんこドリルのように、

言葉を通じて、自分の身体経験と結びつけ、感覚的に理解してもらう

ことが必要になる。

 

そのために、僕自身これから挑戦していこうと思うのが、

相手の心に落ちるような、センスのあるボキャブラリーを増やすこと。

 

自分の脳内に再生されている「映像」を、鮮度を落とさずに、いかに相手に届けるか。言葉のチョイスを間違えれば、映像はボヤけてしまうし、その言葉選びは、伝える相手によって当然変わる。

大人と子供では経験量も言語量も違うから、同じように伝えても、相手のスクリーンに映る鮮度は変わるし、場合によっては全く映らない場合もある。

どんな風に伝えれば、自分の脳内の思考と、相手の脳内の思考を、同期することが出来るかをこれから意識しながら生活していく。

 

この言語センスを磨きあげれば、対人関係においての意思疎通に革命が起きる予感がする。

「何のために勉強するの?」に対する本質的な答え。

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こんにちは。

子供の勉強嫌いって、年齢が上がっていくにつれ増えてしまうようですね。そんなこともあって、親を困らす子供の質問ランキングで常に上位に君臨するのが、

「何で勉強するの?」

っていう質問。

うーん、これに答えるのは難しいですよね。現代人にとって、勉強は気付いたらしていたもの、であって何か特別な理由があって勉強を始めたわけじゃないですから。いわば、日常の歯磨きと同じように、自分の意思が介入することなく、無意識に慣習になってしまっていることの1つです。

そんなこともあって、そもそも「なぜ勉強するのか」を考えたことが無いという方は多いのではないでしょうか。しかし、子供に質問されたときに、答えを濁したり、ごまかしたりするような態度をとれば、子供はそれを見破り、勉強する目的を失ってしまいます。

 

けど逆に考えてみると、この質問をする子供は、

勉強する意味を探っている状態である

と考えることが出来ます。これまで無意識に行っていたことに、疑問を抱き、意識的に「勉強」を捉え直そうとしている状態です。つまり、教育者にとっては、絶好のチャンス!と言えます。

子供が納得するような勉強の意味を伝えれば、

「うおー、勉強ってそんな意味があったんだ!よしもっとやってみよう!」

 と勉強に対する価値を見出して、自ら進んで勉強に励むようになるかもしれません。

 

 その子供が気付いた時に一緒に答えを探っていけるように、まず我々教育者が、勉強の本質を押さえておく必要があります。

・勉強とはそもそも何なのか

・何のために勉強するのか

について、根本的に理解していなければなりません。

子供に見えていない勉強の本質に、スポットライトを照らしてやることが出来れば、子供の中でパラダイムシフトが起き、やる気スイッチをオンにすることが出来るかもしれません。

それでは、勉強の本質について考えていきましょう。

 

 そもそも何のために学ぶ?

 さて、そもそも私たちは何のために学ぶのでしょうか?

・良い高校や大学に進学するため?

・良い成績を残すため?

・勉強はしなきゃいけないものだから?

どれも正しいのかもしれませんが、いまいち腑に落ちないですね。いったん、日常から離れて考えてみましょう。

皆さんご存知の通り、今の日本は学歴社会であるため、勉強と考えるとついつい受験を連想してしまいがちです。

けど歴史的に見れば、進学が主流になり、2人に1人が大学に行く高学歴社会になったのは、つい最近のことです。学歴社会が始まる1960年以前は、勉強における見方というのは全く別物でした。勉強の目的は、成績のためや、進学のためではなかったはずです。

もっと遡ってみれば、江戸時代の寺子屋なんかは、生きていくために必要な実用知識を学ぶ場所であったし、そもそも教育機関が誕生する前の時代の人達は、日常の生活が学びの場で、日々の生活から知恵を身に着けていたでしょう。

さらに時代をさかのぼってみてはどうでしょう。

20万年前、われわれの祖先である、ホモサピエンスが誕生した時、「学び」にはどんな意味があったでしょうか?

 

実は、いつの時代も「学び」の本質は変わっていません。

 

学びの本質とは、

生きる力をつけること

です。

私たち人間は、動物である以上、ライオンやトラやゾウと同じように、生存本能が備わっています。生まれたら死ぬまで「生きる」ことを全うするように、遺伝子にインプットされています。

それゆえ、ヒトは生き抜くために学んで賢くなります。賢くなって、狩猟の方法を学んだり、実用スキルを身に着けたり、食べていくためにお金を稼ぐ力をつけようとします。

だから、基本的に学校ではその時代を生き抜くための教育が行われます。例えば、2020年からの新学習指導要領では、小学校で英語とプログラミング学習が必修化されますね。これは、グローバル化やAI、IoTなどの進展と発展を見込んで、活躍する人材、すなわち生き抜いていける人材を育成するためです。

 

狩猟採集時代に、机で国語を勉強しても全く意味がありません。シカやイノシシなどの動物をいかに仕留めるかを学んでいたはずです。同様に、クマやシカを狩って生計を立てるマタギを除いては、今日に狩猟のスキルは必要ありません。

その時代に応じて、生きる力は常に変わります。

そして私たちは子供も含め、生きる力を身に着けるために、学んでいるのです。

 

 子供は勉強しなくても死なないことを知っている

 さて、勉強の本来の目的は、生きる力をつけることですが、今の日本では、国から最低限の生活を営む権利が保障されてるため、どんなに貧しい家庭でも、ご飯が食べれなくて飢え死ぬなんてことはほぼありません。勉強をしなくても死ぬことがないのです。

歴史的に見ると、そんな豊かな時代でもあり、

「学ぶこと=生き抜くこと」が成立していない

というのが、今の子供たちの勉強に意義を見出せない原因です

戦禍に巻き込まれてるわけでもなく、毎日の食料に飢えてるわけでもなく、学ばないと、直接いのちに関わるなんてことはないですから。

 

「人間」にとっての学びの本質

「学ぶこと=生き抜くこと」という方程式が成り立たなくなったことは、それだけ日本が豊かになったということですが、同時にこれは、

「動物」としてではなく、「人間」として学べる時代になった

ことを意味します。

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マズローの5段階欲求でいう、低次の欲求(生理・安全・社会欲求)が満たされたために、人間特有の高次の欲求(尊厳・自己実現欲求)を満たすための手段として、学びが行われるということです。

 

 

すなわち、今の時代における、学びの究極の姿とは、

自分と他人を幸せにするための手段

ということになります。

 

例えば、

「こんな人間になりたい!」

「こんな仕事がしたい!」

「こんな風に社会貢献したい!」

っていう気持ちありますよね。気持ちの大小はあるものの、どんな人にも必ずあると思います。

もちろん子供にもあります。うまく言葉にできないけど、「この兄ちゃんかっこいい!」とか、「こんな面白いお父さんみたいな大人になりたい!」とか、「Youtuberになって楽しい動画で笑わせたい!」といった想いを持っているはずです。

 

もちろん、以前から学びを自己実現の手段とする人はいました。好きなことで生きていくために学んでいた人は、一定数いたはずです。ただ、時代が豊かになり、これからはそんな考え方が大衆化していき、生活費のために仕事をするのではなく、自分の尊厳や自己実現のために仕事をしていくことが主流になっていきます。ベーシックインカムが導入されれば、この流れはさらに加速していくでしょう。

 

今この時代の日本は、こんな自分の想いを叶えて、自分も他人もハッピーになるために「学ぶ」ことが出来るんです。

今はそんな過渡期であることを認識しましょう。

 

子供が疑問に思ったタイミングを大事にすること

今回は、学びの本質について人間の欲求の側面から見てきました。勉強への見方は変わったでしょうか?今日のことを子供に伝える前に1つ気を付けていただきたいことが、

子供と勉強の意味を一緒に考えるタイミング

です。

ひなが内側からつつこうとしていないのに、親鳥が先につついて殻を破ってしまってはひなが生まれることが出来ないように、子供が勉強の意味を知ろうとするタイミングを見極めることがとても大切です。その時に、子供の勉強観はガラッと変わります。同時に、

答えを伝えるのではなく、一緒に探っていくスタンス

を取ることが効果的です。

皆さんも経験があるとは思いますが、自分で見つけた答えというのは、自信につながり、深い納得感をもって行動に移すことが出来るようになります。

 

学びの意味を捉えなおして、前向きに生きていけるといいですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました!