MUJO

教育に関心を持つ日本一周ヒッチハイカーが儚き世を刹那的に楽しみ、明日も最高に立ち向かうための考えを発信していきます。

【言語センス】子供の心に想いを届けるためにボキャブラリーを増やしたい

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ブログを始めたこともあり、言葉について考えることが増えた。

どうすれば読んでくれる方の心を揺さぶることが出来るか

どうすれば読んでくれた方に目から鱗の体験を与えられるか

 

書く習慣はこれまでもあったけど、誰かに「書き渡す」習慣というものが無かったため、今こうして手を動かしていると、つぶれてしまいそうなくらい脳に負荷がかかっていることが分かる。そんなこともあって、当然ブログを書いていると、執筆時間もかさむ。2000字程度でも、3時間はかかってしまうのが今の状態。

けどこの脳も、筋トレと同じように、もがき続ければもがき続けるほど、どんどん筋力をつけて、今まで持ち上げられなかった重さも、ラクラクと持ち上げられるようになると信じている。

 

さて、今回考えていきたいことは、この「言語脳の筋トレ」を続けた先にある言葉の可能性について。

これまでずっと僕自身の難題として頭に居座り続けてきた、

子供の心に届く伝え方

を身に着ける答えがここにあると確信している。

 

子供に自分の想いを届けるのって本当にむずかしい。例えば、問題行動を起こす子に対して、何回伝えても、いっこうに改善されないことがある。これは、自分の想いが子供に「感覚」として伝わっていない証拠だ。

子供は、大人よりもボキャブラリーが少ないし、頭で考える力も発達していないから、

直観的に分かる、かんたんな言葉

じゃないと伝わらない。

 

ちょうど、最近「うんこドリル」が小学生の間で爆発的なブームになったけど、このドリルが子供に大ウケした理由は、「うんこ」という言葉が、頭にフワッと思い浮かべることが出来て、ピピピッっと直観的に理解できるものだから。

 

このドリルを見た時、子供は、自分の過去のうんこに纏わる経験と無意識に結び付けて、「簡単で面白そうだ!」と身体で認識したはず。

 

 

同じように、先日こんな記事(「何のために勉強するの?」に対する本質的な答え。 - MUJO)を書いた。けど、子供に勉強する目的を理路整然と伝えたとしても、

「ハッ!そういうことかっ!」

と心で理解してもらえるとは限らない。子供に心で分かってもらうためには、うんこドリルのように、

言葉を通じて、自分の身体経験と結びつけ、感覚的に理解してもらう

ことが必要になる。

 

そのために、僕自身これから挑戦していこうと思うのが、

相手の心に落ちるような、センスのあるボキャブラリーを増やすこと。

 

自分の脳内に再生されている「映像」を、鮮度を落とさずに、いかに相手に届けるか。言葉のチョイスを間違えれば、映像はボヤけてしまうし、その言葉選びは、伝える相手によって当然変わる。

大人と子供では経験量も言語量も違うから、同じように伝えても、相手のスクリーンに映る鮮度は変わるし、場合によっては全く映らない場合もある。

どんな風に伝えれば、自分の脳内の思考と、相手の脳内の思考を、同期することが出来るかをこれから意識しながら生活していく。

 

この言語センスを磨きあげれば、対人関係においての意思疎通に革命が起きる予感がする。

「何のために勉強するの?」に対する本質的な答え。

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こんにちは。

子供の勉強嫌いって、年齢が上がっていくにつれ増えてしまうようですね。そんなこともあって、親を困らす子供の質問ランキングで常に上位に君臨するのが、

「何で勉強するの?」

っていう質問。

うーん、これに答えるのは難しいですよね。現代人にとって、勉強は気付いたらしていたもの、であって何か特別な理由があって勉強を始めたわけじゃないですから。いわば、日常の歯磨きと同じように、自分の意思が介入することなく、無意識に慣習になってしまっていることの1つです。

そんなこともあって、そもそも「なぜ勉強するのか」を考えたことが無いという方は多いのではないでしょうか。しかし、子供に質問されたときに、答えを濁したり、ごまかしたりするような態度をとれば、子供はそれを見破り、勉強する目的を失ってしまいます。

 

けど逆に考えてみると、この質問をする子供は、

勉強する意味を探っている状態である

と考えることが出来ます。これまで無意識に行っていたことに、疑問を抱き、意識的に「勉強」を捉え直そうとしている状態です。つまり、教育者にとっては、絶好のチャンス!と言えます。

子供が納得するような勉強の意味を伝えれば、

「うおー、勉強ってそんな意味があったんだ!よしもっとやってみよう!」

 と勉強に対する価値を見出して、自ら進んで勉強に励むようになるかもしれません。

 

 その子供が気付いた時に一緒に答えを探っていけるように、まず我々教育者が、勉強の本質を押さえておく必要があります。

・勉強とはそもそも何なのか

・何のために勉強するのか

について、根本的に理解していなければなりません。

子供に見えていない勉強の本質に、スポットライトを照らしてやることが出来れば、子供の中でパラダイムシフトが起き、やる気スイッチをオンにすることが出来るかもしれません。

それでは、勉強の本質について考えていきましょう。

 

 そもそも何のために学ぶ?

 さて、そもそも私たちは何のために学ぶのでしょうか?

・良い高校や大学に進学するため?

・良い成績を残すため?

・勉強はしなきゃいけないものだから?

どれも正しいのかもしれませんが、いまいち腑に落ちないですね。いったん、日常から離れて考えてみましょう。

皆さんご存知の通り、今の日本は学歴社会であるため、勉強と考えるとついつい受験を連想してしまいがちです。

けど歴史的に見れば、進学が主流になり、2人に1人が大学に行く高学歴社会になったのは、つい最近のことです。学歴社会が始まる1960年以前は、勉強における見方というのは全く別物でした。勉強の目的は、成績のためや、進学のためではなかったはずです。

もっと遡ってみれば、江戸時代の寺子屋なんかは、生きていくために必要な実用知識を学ぶ場所であったし、そもそも教育機関が誕生する前の時代の人達は、日常の生活が学びの場で、日々の生活から知恵を身に着けていたでしょう。

さらに時代をさかのぼってみてはどうでしょう。

20万年前、われわれの祖先である、ホモサピエンスが誕生した時、「学び」にはどんな意味があったでしょうか?

 

実は、いつの時代も「学び」の本質は変わっていません。

 

学びの本質とは、

生きる力をつけること

です。

私たち人間は、動物である以上、ライオンやトラやゾウと同じように、生存本能が備わっています。生まれたら死ぬまで「生きる」ことを全うするように、遺伝子にインプットされています。

それゆえ、ヒトは生き抜くために学んで賢くなります。賢くなって、狩猟の方法を学んだり、実用スキルを身に着けたり、食べていくためにお金を稼ぐ力をつけようとします。

だから、基本的に学校ではその時代を生き抜くための教育が行われます。例えば、2020年からの新学習指導要領では、小学校で英語とプログラミング学習が必修化されますね。これは、グローバル化やAI、IoTなどの進展と発展を見込んで、活躍する人材、すなわち生き抜いていける人材を育成するためです。

 

狩猟採集時代に、机で国語を勉強しても全く意味がありません。シカやイノシシなどの動物をいかに仕留めるかを学んでいたはずです。同様に、クマやシカを狩って生計を立てるマタギを除いては、今日に狩猟のスキルは必要ありません。

その時代に応じて、生きる力は常に変わります。

そして私たちは子供も含め、生きる力を身に着けるために、学んでいるのです。

 

 子供は勉強しなくても死なないことを知っている

 さて、勉強の本来の目的は、生きる力をつけることですが、今の日本では、国から最低限の生活を営む権利が保障されてるため、どんなに貧しい家庭でも、ご飯が食べれなくて飢え死ぬなんてことはほぼありません。勉強をしなくても死ぬことがないのです。

歴史的に見ると、そんな豊かな時代でもあり、

「学ぶこと=生き抜くこと」が成立していない

というのが、今の子供たちの勉強に意義を見出せない原因です

戦禍に巻き込まれてるわけでもなく、毎日の食料に飢えてるわけでもなく、学ばないと、直接いのちに関わるなんてことはないですから。

 

「人間」にとっての学びの本質

「学ぶこと=生き抜くこと」という方程式が成り立たなくなったことは、それだけ日本が豊かになったということですが、同時にこれは、

「動物」としてではなく、「人間」として学べる時代になった

ことを意味します。

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マズローの5段階欲求でいう、低次の欲求(生理・安全・社会欲求)が満たされたために、人間特有の高次の欲求(尊厳・自己実現欲求)を満たすための手段として、学びが行われるということです。

 

 

すなわち、今の時代における、学びの究極の姿とは、

自分と他人を幸せにするための手段

ということになります。

 

例えば、

「こんな人間になりたい!」

「こんな仕事がしたい!」

「こんな風に社会貢献したい!」

っていう気持ちありますよね。気持ちの大小はあるものの、どんな人にも必ずあると思います。

もちろん子供にもあります。うまく言葉にできないけど、「この兄ちゃんかっこいい!」とか、「こんな面白いお父さんみたいな大人になりたい!」とか、「Youtuberになって楽しい動画で笑わせたい!」といった想いを持っているはずです。

 

もちろん、以前から学びを自己実現の手段とする人はいました。好きなことで生きていくために学んでいた人は、一定数いたはずです。ただ、時代が豊かになり、これからはそんな考え方が大衆化していき、生活費のために仕事をするのではなく、自分の尊厳や自己実現のために仕事をしていくことが主流になっていきます。ベーシックインカムが導入されれば、この流れはさらに加速していくでしょう。

 

今この時代の日本は、こんな自分の想いを叶えて、自分も他人もハッピーになるために「学ぶ」ことが出来るんです。

今はそんな過渡期であることを認識しましょう。

 

子供が疑問に思ったタイミングを大事にすること

今回は、学びの本質について人間の欲求の側面から見てきました。勉強への見方は変わったでしょうか?今日のことを子供に伝える前に1つ気を付けていただきたいことが、

子供と勉強の意味を一緒に考えるタイミング

です。

ひなが内側からつつこうとしていないのに、親鳥が先につついて殻を破ってしまってはひなが生まれることが出来ないように、子供が勉強の意味を知ろうとするタイミングを見極めることがとても大切です。その時に、子供の勉強観はガラッと変わります。同時に、

答えを伝えるのではなく、一緒に探っていくスタンス

を取ることが効果的です。

皆さんも経験があるとは思いますが、自分で見つけた答えというのは、自信につながり、深い納得感をもって行動に移すことが出来るようになります。

 

学びの意味を捉えなおして、前向きに生きていけるといいですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

【介護等体験に行った!】高齢者と接して自分の中の色んな前提が覆った話

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ちょうどこの一週間、特別養護老人ホームへ介護等体験に行って参りました。この介護等体験は、教育実習と並んで教員免許を取得するにあたり必須です。

今回は5日間の体験でしたが、普段子供たちと接していることが多い僕にとって、80代、90代と交流できたことは衝撃の連続でした。今日は、その体験記をまとめます。

 

何のために生きるのか

初日、施設に足を踏み入れて一番に得た感想は、「なんだ、このどんより感...」っていう重苦しさ。全身の筋力が衰えて一人で歩くことが出来ない人、発語すら出来ない人、頭がぼけて自分が今何をしているのかも分かっていなさそうな人、生気を失った人達が車イスにぐったりと座っていた。

目があって挨拶しても、反応はない。言葉は悪いけど生きながらにして生きていないようだった。

ここでこのまま死を待つだけなのか....? 一体何のために生きるのだろうか....?と思うと、何とも言えない虚しい気持ちになった。これからの5日間で、この問いに向き合おうと心に決めた。

 

生きがいを持たせるにはどうすればいいか

実際に僕が関わった先は、病態がそこまで酷くない方達のところだった。それもあって、さっき見た「どんより感」は無くて、コミュニケーションを普通にとることが出来た。

ただ、4人ほどと交流していく中で、2通りの人がいることが分かった。

①生きることを楽しんでいる人 と、

②生きる楽しみを失ってしまった人。

 

「孫によう似とるわ~。」と、ずっと笑顔で笑いながら接してくれる人もいれば、「死にたい。」「昔はよかった」といった悲観的な言葉を発する人もいた。まさに、生き生きとしてるvsしてない、の対極状態だった。

これを受けて、両者の差は何か色々考えた。そして、

希望

を持っているか否かが1つの差だと感じた。残り少ない人生に、"望み"を持っているかどうか。

死をまだまだ先に感じる僕たち若い世代が、普通に暮らしてて「希望」を失うってまず無い。今回、余生が短い人と接して初めて得た視点だった。

 

では、どうして希望を失っているのかというと、辛い「今」から逃避して「過去」に固執しているからだと感じた。

「昔はよかった。」「そんな時代もあったっけ。」

っていう言葉からもそれが受け取れた。だから、わずかな実習期間だけど

今この瞬間を楽しませてあげよう。笑わせてあげよう。

と心に決めた。

 

尊厳とは一体なにか

高齢の方と接すると、今までの前提が覆されることがある。

例えば、「学び」について。

何のために学ぶの?って考えた時に、その答えは

・生きる力を身に着けるため

・社会貢献するため 

だったりする。

 

けど、認知症の方と接した時に、自分の中の学びの定義が崩れた。

タオルをたたんで丸めておしぼりを作るっていう軽作業をしたときのこと。

その高齢者の方は認知症で、タオルのたたみ方や丸め方を教えても10秒もすれば、全部忘れてしまう。確かに理解したはずなのに、10秒後にはまるでその事実が無かったことかのようにどこかへ行ってしまう。

そんな出来事を目の当たりにして、

この方にとって学ぶ意味はあるのだろうか。一体なんのために学ぶのだろうか?

と感じた。

 

 今実習が終わって気付いたのは、

意味なんて無かったってこと。そして、あったのは尊厳だってこと。

結局、学ぶ意味なんて人それぞれ違うものであって、それは押し付けるものではない。この認知症の方の場合、学んだことを忘れてしまうんだから、学びそのものに意味はない。

けどそこにあったのは、命ある限り何かに挑戦する意思と生命の活力そのものだ。

それを重んじる態度こそが、彼自身の尊厳を尊重することだった。

 

実習を終えて

この他にも、色んな気付きを得たけど、人に関してはこんな感じ。

悲観的な高齢者の方には、この瞬間を楽しんでもらうために、自分自身バカになって色んなことをした。顔の体操で変顔したり、コスプレしてバカな踊りしたり、紙とペンを使ってゲームも考案してみたりもした。

正直、希望を与えられたか分からない。完全自己満足で終わってしまったかもしれない。けど、笑顔を指標にしてみた時、顔がほころんだ瞬間が増えたように感じる。

 新しい環境に入って、色んな気付きが得られた5日間でした!

【教育バイト】教育に関心がある学生は、放課後デイで働いたほうがいい理由

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こんにちは。

今日は、教育への関心が高い学生や、セカンドキャリアとして子育てに携わりたい主婦の方に向けた内容です。僕は、学生時代色んなアルバイトを経験しましたが、その中でも最高にやりがいがあって刺激的な仕事が、

「放課後等デイサービス」

です。

 

僕の周りでは、教育に関心の高い人は家庭教師や個人指導の塾の講師をやる傾向にあって、放課後等デイサービスで働いている人は少ないです。大学生の多くは学生時代に塾に行った経験はあっても、放課後デイに通っていた経験がある人の割合は少ないこともあって、そもそも放課後等デイサービスが認知されていないというのが現状です。

 

放課後デイサービスってどんな仕事?

では放課後等デイサービスはどんな仕事についてみていきます。

 基本的に放課後等デイサービスに来ている子供は、発達に凹凸があります。障がい認定を受けた子供たちの「学童」というとイメージしやすいかもしれません。ここではそんな子供の発達への支援を行い、子供たちにとって、

・遊びや教育の場

となるように努めます。

 

ここでは詳しく触れるつもりはないので、もっと知りたい方はこちらを参考にしてください。

放課後等デイサービスとはどんな施設?サービス・利用方法・費用・受給者証手続きの流れをご紹介 | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

 

これからの対人教育は「育む面」がより一層問われるようになる

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教育には、「教える」側面と「育む」側面の2つがあります。

教える教育というのは、先生が教壇に立って、座っている子供に対して知識を与えるような一斉授業の形態のことです。暗記型の学習や受験への学習効率を意識した際には、効果的かもしれませんが、対人教育や集団教育においてこういった授業を行う必然性は無くなっていきます。

既に学校教育の教える側面は塾に取って代わられています。受験の傾向を分析して、習熟度別に教えることに特化した塾がある以上、学校でやる意味は薄れています。

 

塾に行かせる余裕がない家庭もあるのではと思われるかもしれませんが、最近では

リクルートのスタディサプリ

といったサービスもあって、ネット環境さえあれば、低価格で自分のレベルにあった良質な授業を受けることが出来ます。将来的には、学校だけではなく塾も含め、対人教育の在り方を見直していかなければいけません。

これらの理由より対人教育は、

「育む」

側面にスポットライトをシフトさせていく必要があると考えます。

 

放課後デイサービスはまさに「育む」仕事

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学校現場の授業の在り方についてはまた別にまとめていくとして、話を戻しますと、

放課後デイサービスは、まさに「教える」よりも「育む」に焦点を当てている仕事です。

そして、社会的に自立できることが念頭に置かれているため、組織内で子供を主体とした教育が非常に行いやすいです。

実際に、

・子供たちが生活上必要とするスキル

・他者との社会的なかかわり

・自己肯定感 etc.

を養うために、遊びの中では見守りながら接するというスタンスをとることを多くします。子供同士のいざこざや、人としておかしな言動があれば方向修正することもしますが、基本的に僕自身は子供自身に備わっている力を信じて接しています。

そんな「育む」ことの楽しさを学んで、子供の成長を見守ることのできる場所こそが放課後デイサービスの魅力です。

 

教育関係の仕事を目指す方へ

発達障害のことが認知され始めた日はまだ浅く、学校には知らない先生方もいらっしゃるようです。僕自身も、このアルバイトを始めるまでは無知も同然でした。今でも発達障害のことは全然理解できていません。けどこれまでのたった10ヵ月間でも、子供の目線に立って触れ合う中でADHD自閉症といった言葉のフィルターを通じて子供を理解するのではなく、一人一人を1人の人間の特性として理解して、受け入れることが出来るようになってきたように思います。

学校で先生をすることになれば、発達障害の子供とは必ず接することになります。教育系のバイトを探している人は、是非放課後等デイサービスで働いてみてはいかがでしょうか。

誰もが一度は考える「生きる意味」について僕はこう考える。

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この膨大な宇宙の中に誕生した地球。

その地球に生まれた僕たち人間は、一体何のために生きているのか考えたことがありますか?

もし考えたことがないのであれば、この機会に一緒に考えてみましょう。

 

まず何のために生きるのか?という答えは簡単に出るものではありません。

それ故、世間では人生に生きる意味が「ある派」と「ない派」の2つに分かれます。

 

 ある派とない派の言い分

 「ある派」の言い分としては、

・子孫を残すため

・他者貢献するため

・幸せを感じるため

欲求を満たすため

・人生の目的を生きながら問うため

などの答えが一般的です。生きる意味を考えると誰もが一度は辿り着く答えだと思います。

 

一方で「ない派」の言い分は、宇宙の誕生そのものが偶然に起こったものだから、宇宙も地球も人類も存在に意味は無いというものです。

この世の始まりであるビッグバンに意味はあったのかという起源に立ち返って考えます。宇宙の誕生に意味がないのであれば、地球の誕生も、人類の誕生も、僕たちの人生も意味はないことになります。

 

生きる意味はあるのかないのか、この議論の真相は科学的に証明されてないためどちらも間違っているとは言えません。

 

生物学的には生きる意味はない

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僕個人としては、絶対的な生きる意味はないと思っています。悲観的なのではなく、あくまで生物として生きる意味はないということです。

 

ビッグバンが起こって宇宙が始まったのは、137億年前と言われています。

太陽が誕生したのは46億年前。人類が誕生したのは、700万年前

そして、僕たち人間が生きるのは、このうちの僅か100年だけです。

 

たったの100年です...

 

人が1人死んだとしても地球は何も無かったように周り続けるし、宇宙にとって僕たち人間の存在は、本当に微々たるものに過ぎません。

自分の一生の100年が長いように感じていた人も、1歩引いて見ると、人生なんてほんのわずかなものなんだと気づきます。

宇宙、人類の歴史の一瞬に生まれて、たかが100年で死んでいく自分の人生に生きる意味なんて無いんじゃないかと思うのです。

 

 生きる意味は人間の後付けしたもの

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 さて、生物学的に絶対的な生きる意味なんてないと言いましたが、僕たち人間は自分たちの人生に意味付けを行うことが出来ます。

生物として生きる意味は無くとも、僕たちは頭脳を持った人間である故、意味を後付けすることで、生きる目的を得ることが出来ます。

どのように意味付けるかは個人によって異なります。 

 

冒頭での生き意味が「ある派」の例を見てみましょう。見てみると、決まった答えがないことが分かりませんか。

・子孫を残すため

・他者貢献するため

・幸せを感じるため

欲求を満たすため

・人生の目的を生きながら問うため

 なぜならば、これは個々人がそれぞれ、自分の価値軸で意味を後付けしたものだからです。そこには、主観が入るため唯一絶対の答えは存在しません。

だから、自分が何のために生きようと自由です。人のために生きようが、幸せになるために生きようが、別に生きる意味を持たなくても誰も文句は言いません。

これが、「人生には正解がない」と言われる所以です。

 

生きる意味を持つことのメリット

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ドラクエにラスボスを倒すという目的がなければ味気ないように、人生に方向性や豊かさを持たせるためには、生きる意味を持つことはとても大切なことです。

 

毎日いやいや仕事に行ったり、文句を言いながら生活するのって、ただただ辛くて何のために生きているのか分からなくなります。

生きる意味を持つと、仕事にも目的意識が芽生え、人生という冒険をより楽しめるようになります。

生きるミッションを見つけたい方はこちらを参考にしてみてください。

asulog.hatenablog.com

あなたは何のために生きますか?

この137億年の膨大な宇宙史の一瞬に生まれて、僅か100年で死んでいく自分にとって、勝ち負けとか、名声とかに何の意味があるんだろうか。

豊かな日本に生まれて、戦争や飢餓にも直面していない自分の命は何に使うべきなのか。

僕はこの膨大な宇宙史の一瞬を共にする人々が幸せに生活すること、そして次の世代のために環境を整えてやること、僕はそのために命を使っていきたいと思う。

 

何度も言いますが、正解はありません。自分が納得する形ならそれがベストです。

皆さんは何のために生きますか?

大人が「遊び心」を大切にすれば、もっとワクワクした世の中になる。

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今日、腑に落ちたことがある。
 
子供の遊び心ってすごい。
ほとんど毎日同じ環境で、同じ友達なのに、飽きるどころかめちゃくちゃ楽しんで遊んでる。
 
工事に見立てて、穴を掘って池を作ったり、
紙筒に、ひもを通して、自作のブランコを作ったり、
色んな大きさの木を打楽器に見立てて、音楽会を作ったり、
壊れた扇風機を分解して、中の部品でハンドスピナーを作ろうとしてみたり、
 
純粋な好奇心と常識にとらわれない発想力を持つ子供は、間違いなく遊びのプロだと感じる。
過去や未来のことを気にしがちな大人と違って、子供たちは「どうしたら今この瞬間を楽しむことが出来るか。」、「どうしたらもっと面白くなるのか。」ってことを常に考えている。
 
だが、残念なことに大人になるにつれて、こういった遊び心って失われていく。
子供の時は楽しみだったはずの雪も、大人になるとただの害悪だ。
年齢が上がるにつれて消滅していくというよりも、大人になるにつれて抑制されていくというニュアンスに近いのかもしれない。遊び心は生きていく上で「不要」と認定される。
 
子供が成長するにあたって、遊び心を忘れてしまうのは、その遊び心を軽視した大人の姿勢にある。大人にとって遊びなんて、非生産的だし、ストレス解消の手段に過ぎない。合理性や効率を追求し始めると、遊びなんて必要なくなるのだから。
 
けど思い出してほしい。授業中によく教科書に落書きをしたと思う。僕もよくやった。歴史上の人物に鼻毛を生やしたり、ウンコの落書きをしてみたり。ここには、子供の遊び心と発想力、創造力がめちゃくちゃ働いている。
 
けど、これを見た大人は何て言うだろう?肯定的な意見というよりは、否定的な意見を言うのではないだろうか。授業中に他事をしてはいけない、教科書に落書きはいけないと思われるかもしれないが、子供の純粋な「遊び心」は授業よりもうんと価値があるものではないだろうか。
 
僕は、目を輝かせながら色んな事を楽しもうとしている子供たちを見ていると、そんな遊び心を殺してしまう今の社会は本当に残酷だと思う。
 
こんな遊び心を受け入れられる大人がもっと増えたらいい。大人自身も遊び心をふんだんに発揮する。別に、大雨の中、全裸で飛び出すのもいいし、友達や会社の同僚にくだらないイタズラをしてみてもいい。楽しもうと思えば、カラオケとかボーリングとかショッピングとかなくても、いくらでも楽しむことが出来る。
 
そんな大人の姿勢を子供が見たら、子供は自分の遊びをもっと面白くしようとするだろうし、苦手な勉強にも大人と一緒に遊び心を発揮して楽しく取り組めるようになるかもしれない。遊び心って生産性が無いようで、大人も子供もワクワク出来るっていう点で人生の見え方がめちゃくちゃ豊かになる。
 
 
大人が姿勢で子供に示さないといけない。
もっと、遊び心溢れるエキサイティングな世の中にしよう。

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あなたは一体何のために成長するの?幸せになるための成長術

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こんにちは!

「自分を変えたい!」「自分を成長させたい!」っていう思いは誰しもありますよね。

皆さんは、一体何のために成長したいのか考えたことがありますか?

 

もし、答えが出ない場合は、一度立ち止まって考えてみてください。

そもそも、本当に自分を変える必要はありますか?

 

自己否定から生まれる成長欲

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僕は、大学に入学した当初から成長欲は人一倍ありました。毎日図書館で10時間勉強して、選んで入ったゼミではプレゼン発表の為に、週2で徹夜をした。訳も分からず、とにかく自分を成長させることだけに必死になっていた。

 

けど、何のために成長したいの?って問われた時、明確な答えは出てこなかった。

なぜならば、成長することが目的化していたから。こういう学生って結構いる。

 

この場合、成長欲の根源は、自己否定であることが多い。

僕自身も、当時は自分に自信が無くて、何もしていないと凄く不安で、とにかく新しい自分に変わりたかった。だから、成長に貪欲になり、色んな機会に飛びついたのだ。

 

自己否定から生まれる成長欲のデメリット

けど、僕は出来ることが増えていっても、自分を否定し続けた。この自己否定から生まれる成長欲は、満たしてもまた次の理想を生む。つまりエンドレス。

これは当然で、自己否定からの成長欲は、自分を肯定するための「I am OK.」っていう考え方と正反対のものだから。

 

僕は、この成長欲自体が悪いものだとは言わない。ただ、幸福度を優先した場合、今の自分を否定して新しい自分になろうとするのではなく、今の自分のままでいいと認めることが間違いなく必要だ。

 

成長することは手段。目的では無い。

 

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 このWill,Can,Mustの3つの輪をご存知ですか?

これは色んな解釈が出来るフレームで、簡単に説明してみます。

・Will 自分の想い(やりたいこと)

・Can 能力(出来ること)

・Must やらなければいけないこと

ちなみに、成長することは、出来ることを増やすことになるので、Canの輪を大きくすることを指します。 

 

このフレームを見てみると、いくらCanの輪を大きくしようとも、自分のやりたいこと(Will)との重なりが増えなければ、空回りしてしまうということが分かります。

僕が考える理想の成長は、自分のやりたいこと、すなわち自己実現のために、自分を変えるということです。

例えば、子供を自立させるため、病人を治すため、お客さんに笑顔で帰ってもらうため...etc

自分のCanが小さければ、人を幸せにすることなんて出来ないから。

 

 自己実現のために成長する3つのメリット

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自己否定をモチベーションにした場合と異なり、自己実現のための成長にはメリットしかありません。

 

①ワクワクしながら成長できる

本来成長にはワクワクがつきものです。自己否定をしている状態だと、成長してもいつまでたっても息苦しい。ワクワクしながら自分の出来ることが増えていって、人を喜ばせることが出来るようになったら、この上ない充実感を感じるでしょう。

 

②成長の方向性が定まるため、成長スピードが上がる

 成長は、自己実現のためのもの。自分の想いを叶えるために成長するわけなので方向性が見えます。すると、盲目的に成長しようとするのではなく、客観的に分析しながら前に進むことが出来ます。当然、PDCAも回せるようになるため、成長スピードは上がると考えられます。

 

③自己効力感が高まっていく

自己否定をモチベーションにした場合、周囲と比較で成長の尺度になりますが、自己実現をモチベーションにした場合は、過去の自分との差が成長の尺度になります。

Willに向かって目的意識を持って、過去の自分と比較して成長を実感出来たら、「自分は出来る!」という自己効力感が高まっていきます。

 

 最後に

 自己否定さえしなければ、成長することは他人を幸せにするための絶対的な善です。

そして、人生を濃いものにするためには欠かせないものだと思います。

この記事が何かの参考になれば嬉しいです。