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教育に関心を持つ日本一周ヒッチハイカーが儚き世を刹那的に楽しみ、明日も最高に立ち向かうための考えを発信していきます。

【劣等感の運用】必死に、もがきながら前に進もうとしているあなたへ。

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「何が海賊王だ。俺は.....弱い!!!」

ルフィが、エースを助けられなかったときに、ジンベイに言った言葉。

 

自分の力不足で、誰かの命を救うことが出来ない。

自分の力不足で誰かを笑顔にすることも、幸せにすることも出来ない。

 

そんなことを感じているあなた。

 

 

さあともに立ち上がれ!!

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もし、誰かのために、何かをしたいのなら、こんなところでへばってる場合じゃないぞ!

 

別に誰かのためじゃなくてもいい。自分のためでもいい。

そして別に自分の中に、課題や劣等感を感じててもいい。

だって、それは、

 

あなたが素直で真っ直ぐな証拠だからだ。

 

そして、その真っ直ぐさと、確かな想いがあれば、

 

絶対に乗り越えていける!

 

 

そして、心配しなくてもいい。

あなたは一人じゃない。

 

 自分のため、誰かのため、何かのために必死にもがいている人は世の中にたくさんいる。

あなたを助けてくれる人だってたくさんいる。

 

だから心配せずに、前に進め!

今できることを、1つずつ、ゆっくり積み上げていけばいいさ!

 

大丈夫!未来は明るい!

共に前に進もう。

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自分の非を認める事の出来る子供たちを増やし、他者の非に寛容な社会を作るために

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ごめん...

 

って、誠心誠意つたえることって簡単そうだけど、意外と苦手な人もいる。

僕もその一人。

 

謝ることは、自分の非を認めることで、自分の不完全性が明らかになる瞬間で、同時に、全ての責任を背負う覚悟もいる。

 

だから、何だか気恥ずかしいし、つい外部に責任を転嫁しがち。

 

その傾向は、芸能人や政治家のスキャンダル報道なんかを見てても明らか。自分の非を認めずに、どうやったら自分を守れるかしか考えてない。

「謝ったら負け」みたいな空気が確かに存在していて、それが原因でみな保身に走る。

 

ちなみに、

「謝る」という行為と、「非を認める」ことは全く別物。

謝ることは容易いが、自分の非を認めることは簡単ではない。

もう一度いうと、それは「自分が劣った種である」「不完全な種である」という現実を直視しないといけないから。

 

残念なことに、今の日本社会は、そんな「人の不完全性」を徹底的に叩く世の中だ。

タレントのベッキーさんと、「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音さんの不倫に関しても、再起不能になってもおかしくないくらいに徹底的に叩く。

ワイドショーを見たおばさんたちや、SNSで他人の揚げ足を取りたがるような人たちも一緒に、とことん叩く。

そんな社会風潮であるが故、自分の非を認めることに対するハードルは高くなっているように思う。

 

 

さて、何が言いたいかというと、

大人の世界でもこんなんだから、子供にとっても「自分の非を認める」ことはとても難しい。例えば、子供同士のいざこざで、自分の非を認めてしまうと、

 

・先生、親に叱られる

・仲間外れ&いじめに遭うリスクが高まる

・友達に負ける(自尊心が崩れる)

・周りから認められなくなる

っていうリスクを抱える。

 

子供たちにとって、学校が世界の全てだから、子供にとってはこれらは大人の想像を超える死活問題だと思う。

 

自分の非を認めない生き方の何が悪いか

自分の非を認めなくても、生きていける。

うまく責任を外部に転嫁して、「世渡り上手」的に生きていけないこともない。

 

ただ、大人にもなって、謝ることすら出来ないのは、超ダサい。

 

ダサいだけでも、僕は嫌だけど、自分の非を認めないことのデメリットも多くある。

 

自分に原因があるんじゃなくて、周囲の環境や人に原因があるって考えるから、いつまでも文句を言い続けて、いつまでたっても解決しない。つまり、自分の非を認めなければ、人の成長は完全に止まる。

 

加えて、自分の欠点を隠そうとするその姿勢は、自分の能力を客観的に把握することも出来ないし、自分の不完全性を認められないことは、自己肯定感の欠如、自信の欠如にもつながる。

 

人は生まれてから死ぬまで、ずっと不完全性を兼ね備えた存在なんだから、もう不完全な自分を認めちゃったほうが潔いし、その方が事はスムーズに進む。

 

だから、自分にも他者にも素直になって潔く生きる人が増えてほしいし、そういう子供も増えてほしい。

 

人が「自分の非を認める」ことが出来る社会にしていくために

「子供は大人を真似る」というのは、生物学的に考えても合点がいく。

トラも、半人前から一人前に狩りが出来るようになるまでは、親を真似ながら一緒に狩りをするし、僕たち人間も、いつになってもずっと「大人っぽい」に憧れる。

 

子供が、大人を真似る以上、大人は子供に背中で見せていくしかないと僕は思う。

些細なことからでも、「自分の非を認める」という行為を子供に見せていく。

 

子供の前で「非を認める」って、ダサい。

けど、それを言い逃れようとするのは、もっとダサい。ダサすぎる。

 

子供との関りの中で、もし自分が何か過ちを犯したのなら、潔く認めて、誠意を込めて謝ることを実践すれば、子供はそんな姿をしっかりと眼に焼き付けている。

 

実は僕も、先日、働いている放課後等デイサービスで子供に対して過ちを犯してしまい、ほんのちょっとの勇気を振り絞って、

ごめん

と真正面から伝えた。

ダサいけど、そんな僕の姿を見た子供も、誠意が伝わったのか、何かを言い立てることもなく、素直に気持ちを受け取ってくれた。

 

子供はしっかりと僕たちを見ていて、日々色んなことを感じ取っている。

 

自分に素直な子供を育てるために、まずは僕たちが自分の非を認めていこう。

そして、そんな人が現れたら、責め立てることをせずに、寛容に受け入れてあげよう。

そうすれば、小さなところから少しずつ社会は変わっていく。

人生がワクワクしていないあなたへ。「超つまらない人間」になっていた自分を分析して分かったこと

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今からちょうど3か月前、僕はヒッチハイクで日本一周を終えた。ちょうど、このブログを始めた頃だ。

 

常識のしがらみから解放されて、世の中の本質がちょっとずつ見えてきて、

成功体験が積み重なったことで、新たに挑戦することが楽しくて楽しくて仕方なくて、

諸行無常に移りゆく、儚なき世に、美しさを感じていた。

 

噴水のように内側からワクワク感が絶えることなく湧き出てきて、毎日がとても充実していた。

 

あれから3ヶ月たった今、このワクワク感が本当にここにあったのかも分からないくらい、どこかへ消え去ってしまった。

それはまるで、自分の体内にあったはずのエンジンをごっそりと引き抜かれてしまったような感覚だ。

 

面白い人とつまらない人

あなたは、自分自身のことを

「面白い人間」だと思いますか?それとも「退屈な人間」だと思いますか? 

 

人はそれぞれ、自分へのセルフイメージを持っていて、そのイメージを自分の理想と照らし合わせて評価付けをしています。

自分のセルフイメージが理想に近ければ、自分のことを「面白い人」と判断するでしょうし、もし遠ければ自分のことを「つまらない人」と否定してしまうかもしれません。

 

この自己評価ってとても大事なことです。

もし自分のことを面白い人間と思えていたら、人生の大部分を面白いと感じるだろうし、 もし自分のことをつまらないと思っていたら 、人生の大部分がつまらなく感じるだろうから。

 

それは、自分のことが好きな人ほど、人生の幸福度が高いのと似ていて、人はたくさんのフィルターを通して外界を見ている。この自己評価もそんなフィルターの一種だ。

 

気付いたらワクワク感が消えていた

 エンジンを失い、ワクワクしなくなってしまった僕は、子供たちと接することが、段々と作業的になってきた。

仕事中も、早く終わんないかなーなんて考えてしまうこともあって、しまいには、周りから「最近暗い」と言われる始末だ。

 

別に、何かあったわけじゃない。

というより、何もなかったここそが問題だった。

いわゆるマンネリ化というやつだ。

 

人が「つまらない人」になるのは、新しく行動することを辞めたとき

人は、現状を維持しようとするだけでは、確実につまらない人間になっていくことが分かった。

それは、時間が経つにつれ人は環境に慣れていくから。

 

人間は、徐々に水温が上昇して、鍋の中で茹で上がっていくカエルを見て、「バカだなー」と嘲笑するけど、そんな「慣れ」は人間にも身近に起こるものだ。 

僕自身、恐ろしいもので、自分が「茹でガエル状態」になってることに全く気付きもしなかった。

 

いかにもありがちだけど、僕は 常識や凝り固まった価値観にすっぽりと収まってしまっていた。

 

→それが原因で、いつしか常識に囚われた「守り」の姿勢になってて、
→それが原因で、自分の中から主体性が失われて、
→それが原因で、自分のやってる教育がつまらなくなって、
→それが原因で、子供と遊ぶにしても、どこか自分の中で矛盾してて、
→それが原因で、心の底から、ワクワク出来なくなってしまった。
 
なぜ、こんな風になってしまったかというと、
行動を止めてしまったこ
が一番大きな理由だ。
グツグツ鍋が煮え始めているのに、僕は鍋の中から飛び出すことをしなかった。
 
その結果、すっかりと茹で上がってしまったのだ。
 

面白くあり続けるための合言葉

じゃあ、茹でガエルにならないためにはどうすればよいのか。
その方法は、行動を起こし続けることだ。言うは易し行うは難しだが、もうこれしかない。
 
慣れてつまらなくなるのなら、どうすればもっと面白くなるのかひたすら考え続けることだ。
その合言葉が
 
「今よりも」だ。
 
どうすれば今よりも、楽しくなるのか。
どうすれば今よりも、ワクワクするのか。
どうすれば今よりも、面白くあれるか。
 
人類文明がこれだけ進んだ今でもなお、我々は進化の歩みを止めないように、
僕たち人間一人ひとりも、
 
面白くあり続けたいなら、

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ずっとワクワクしていたいのなら、

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イキイキとし続けたいなら

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死ぬまで行動することは辞めてはいけない。
 
今よりもどうすれば、その状態に近づくことが出来るのか、命が尽きるその瞬間まで、ひたすら改良していく。もう一度いうが、言うは易し行うは難しだ。けど地道に歩き続けて、上昇していくしかない。
 
そう考えて日々を過ごせば、茹でガエルの状態から脱却出来るだろうし、何よりも最高に楽しく生きていけるだろう。

子供をみて確信に変わった

ちなみにこの記事は、3日ほどまたがりながら書いている。

そして、ちょうど今日、放課後等デイサービスに来ている子供たちをみて、この記事の内容が完全に腹落ちした。

 

毎日、同じ環境にいて、同じ玩具で、同じ友達と遊んでいるのに、どうして飽きずにワクワク遊べるのかという、長いこと抱えていた疑問が見事に解けたのだ。

 

彼らはずっと、「今よりも」どうすれば楽しくなるのかってことをずっと考えていた。

何よりも、遊びに対して真剣で、真っ直ぐに向き合ってるのだ。

そんな姿勢こそが、彼らが飽きずに、毎日楽しみにしながら遊びにきている理由なんだ、と強く心を揺さぶられた。

 

子どもたちには謝意と感謝しかない。

これから、僕はこの命が尽きるまで、今よりも楽しい人間であり続ける。

僕だけじゃない。この記事を最後まで読んでくださった方は、ぜひ一緒に楽しく生き続けてほしい。

そうすれば、人生はまだまだ楽しくなる。

未来は明るい。

【コンプレックス克服】堀江貴文さんにも、強烈なコンプレックスがあった。

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みなさんは、コンプレックスをお持ちだろうか。

コンプレックスは、一般に「劣等感」のことで、自分の「嫌いなところ」や「弱さ」

が、それにあたる。

 

コンプレックスがあることは、特別なことじゃない。

むしろ、無い人の方が、本当にごく稀だ。

 

一昔前に話題になった、著書「ゼロ」にも書いてあったけど、あのホリエモンの愛称で知られる、堀江貴文さんですら、自分のことを「コンプレックスの塊」と表現している。

 

僕は「私○○がコンプレックスなの」と公言できることは、コンプレックスではないと考えている。

本当に、自分の嫌な部分というのは、自尊心が邪魔して、人に伝えることすら阻まれてしまうから。

ダサくて、弱っちい自分を、まるで無いもののように、自分の奥底に鎖で封じ込めようとする。それは、自分だけしか知らないある種の秘密のようなものだ。

そんな強烈なコンプレックスを抱えている心の内は、どこか濁っていて、息苦しいの一言に尽きる。

 

さて、堀江貴文さんの「ゼロ」を読み返してみると、堀江貴文さんもそんな苦しみを抱える一人の人間なんだということが分かる。ルックスに劣等感を抱えて、女性関係においてとにかく自信がなくて、キョドることもあったそうだ。

 

けど彼は、刑務所に収監された経験を通じて、大きく生まれ変わった。

社会が作り上げた「ホリエモン」ではなく、一人の「堀江貴文」として。

 

 コンプレックスは、ただの幻

最初に言っておくと、自分のコンプレックスは、全て自分が作り上げた幻想だ。

それらは、すべて自分だけにしか見えていない。

 

例えば、体型が太っていて、自分の中で物凄くコンプレックスだ、と思っている人がいるとする。

もちろん、ウエストが○○cmで…とかいった客観的事実は存在するんだけど、それを太ってるかどうか決めるのは、自分の主観だ。

だから、傍から見たらそうでもなかったりする。

 

僕も、高校時代に部活を挫折しそうになったときに、他の部員から、「ガラスのハート」

と笑われたことがあって、これがすっかり自分のコンプレックスになってしまったことがある。

それ以来、心の弱さを隠すために、ひたすら「鋼鉄のハート」を装って生きた。

それでも大学時代に、入ったゼミを挫折して弱さが露呈してしまった時なんて、もうコンプレックスの塊だった。人に会いたくないほど、自分を否定し続けた。

 

だが、そのことを思い切って友達に告白すると、

「ふーん、そうなんだ。」

みたいな感じで軽くあしらわれたことを鮮明に覚えてる。

 

こうやって考えると、本当にばかばかしい。

周りにしてみちゃ、俺のコンプレックスなんてどうでもいい。気にしてるのなんて自分だけで、勝手に怯えてるだけなんだから。

 

コンプレックスの認識を変える

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けど、見えてるものを「幻だ!」と言われたところで簡単に信じられないのが人間だ。

それ故、コンプレックスというものは、簡単に消えることはなく、人々の心に居座り続ける。

 

コンプレックスを解消するためには、それが自分にしか見えていない幻だと、自分で認識を変えるしかない。

 

堀江貴文さんは、「ゼロ」の中で、自身の女性に対するコンプレックスの原因は、

経験の不足

だと著している。

自分の目の前にある、恐ろしき幻が本物かどうか確かめる経験だ。

 

いつまでもコンプレックスから抜け出せないのは、コンプレックスという名の、幻の真偽を確認として、認識を変えようとしないから。

 

コンプレックスの塊だった僕も、就活のときに徹底的に、自分の中の幻想を洗い出した。

そして、その「弱さ」をとにかく人に話しまくった。

全ては、自分のコンプレックスが幻であると、見切るために。

 

コンプレックスを克服するための小さな勇気

コンプレックスを人に話すなんて、めちゃダサいし、見苦しい。とてつもなく怖いから、勇気もいる。

けど、話してみると、相手の反応は自分の想像以下だった。ドン引きされたり、離れていってしまうんじゃないかっていう不安は杞憂に終わった。

 

ああ、全部幻だったんだ。

そう認識できれば、自分の勝ちだ。

 

自分の弱さを認めて、人に話してみるという行為は、本当に怖いけど、

それだけ自分を変えるだけの強力な力を秘めている。

 

堀江貴文さんも、刑務所で収監されていた時、自分の身の回りの全てのものが剥がれ落ち、コンプレックスにまみれた自分が露わになったはずだ。

そんな自分を直視し、認めることは、胸が張り裂けるくらい辛い経験であっただろう。

 

しかし、それがあったからこそ、「ゼロ」では、彼のありのままの姿が語ることができ、多くの人を勇気付けた。

堀江さんは、数多くの書籍を出版されているが、この一冊は彼が新たな堀江貴文として生まれ変わるきっかけになった、彼にとっても大きな意味を持つ本だと僕は思っている。

 

大丈夫、そんなの大したことない

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何度も言ってきたけど、コンプレックスはすべて幻だ。そんな幻に、苦しめられるなんて本当に、バカバカしい。

けど、堀江貴文さんを始めとして、世の中には、それが幻であると、認識を変えた人も大勢いる。

 

もし、コンプレックスを克服したいのなら、一度信頼のおける人に、暴露してみてはいかがだろうか。家族や知人に、話しにくいのなら、カウンセリングサービスを使ってもいい。

自分で認識を変える経験を積んでいけば、コンプレックスは間違いなく消えていく。

 

ちょっとの勇気を振り絞って、一歩を踏み出そう。

大丈夫、あなたなら出来るはずだ。

ブレない、自信のある、自分になるためには、「自分だけのコンパス」を持つこと

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社会に出て働きだすと、いつしか人は多忙になり、時間に追われ、見えない何かにずーっと追い回されてる妙な感覚が残る。

 

気付けば、

一体自分は何をしているのか、

一体自分は何者なのか、

何のために働いているのか分からなくなる。

 

そんな時の人は、自分の行方も分からぬまま、ただただ盲目的に走り続ける。

これが、いわゆるブレの状態。

 

ブレてる時の人は、自分の進む方角に確信が無いから、どこか自信が無く見える。

自信が無いから、その走り様に力強さは感じないし、道なき道を切り拓く事もできない。

 

森の中で迷子になった時、闇雲に走っても抜け出せないように、ブレから抜け出すには、確かな目印となるもの、つまり

コンパス

を持つことが必要だ。

 

コンパスにも、いくつか種類があるだろうが、ここでは、「人生の指針となるコンパス」について一緒に考えていきたい。

 

 ブレやすい世の中 

そもそもブレてしまう原因に、時代の荒波の影響がある。

 

 これまでは、いい大学に入って、安定した職について、結婚して、子供を産んで、家を買って…

っていう人生観が一般的だった。

よく「レールの上に敷かれた人生」と表現されることが多いが、確かに人生設計の王道モデルとして、人々の基準となっていた。

 

しかし、インターネットの普及により、いとも簡単に、莫大な情報と、多様な価値観に触れる事のできる社会になり、特に近年はスマホの普及で、その流れは猛スピードで加速している。

 

学校や大学の存在意義が問われ、

安定より、やりがいを仕事に求める若者が増加し、

結婚をしない選択も特別ではなくなり、

持ち家vs賃貸の議論なんかも見られるようになった。

 

これまで盲目的に信じてきた、当たり前の常識が見直されて、正解を自分で見つける世の中に移り変わっている。

 

人がブレるのは、これまで正しい方向を指していると思ってきたコンパスが、使い物にならなくなってきているから。

そして、正解を自分で見つける社会には、コンパスは人の数だけ無数に存在しているから。

 

ブレないために、自分に問うてみる

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ブレないためには、自分だけのコンパスを見つけるしかない。

他人のコンパスを模倣しても、それが指し示す方向は、どこまでも他人の道であって、自分の道ではないから。

 

だから、ブログや本を読んだから、ブレなくなるなんてことは、本質的にありえない。

仮にその時は、ブレなくなったように感じるかもしれないけど、根がしっかりしていない木はすぐにグラついてしまう。

 

ブレなくなるためには、他人の解ではなく、自分が心の底から納得のいく指針を、自分で見つけ出すしかない。

 

自分だけのコンパス見つけ

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自分のコンパスを見つけること、と何度も言ってきたけど、

コンパス見つけ=信念の言語化

と考えていい。

 

今まで見えなかった、人生に対する自分の信念や想いが、パァーーッと、客観的に見えるようになったとき、パラダイムシフトは初めて起きる。 

言語化とは、頭の中のものをコトバとして取り出す、まさにそんな作業のことだ。

 

そして、自分の信念を言葉として取り出すことは、

自分との対話

を通して行われる。

本当に一貫した自分を確立したいのなら、繕った自分ではなく、本当の自分と真剣に向き合うことが必要。それには、強い覚悟がいる。

 

まだ、自分の信念がまったく見えていない人は、以前のこの記事が参考になると思う。

asulog.hatenablog.com

 

魔法の言葉「何のためにしてるの? 」

 さて、森をさんざん彷徨った末には、こんな問いを突き付けられるだろう。

 

何のためにしているの?

 

この問いは、自分をあるべき姿に導いてくれる、魔法の言葉だ。

ブレない人ほど、この自問自答を頭の片隅にずっと置いているように思う。

 

ちなみに、この答えは正解はないし、人によっても当然違う。

同じレンガを積むという作業でも、

ただ単にレンガを積んでいる職人もいれば、教会を作っている職人もいるし、人々の憩いの場を作っている職人もいる。

 

大事なのは、その答えに確固たる自信を持っているか。

なぜなら、その自信こそが、ブレない力そのものだから。

 

 けど、自分の答えに自信が無くても大丈夫。

 

もう一度落ち着いて、自分と対話すればいいし、答えは自分の価値観に隠れているはず。

 

コンパスを見つけた先にあるもの

こんな正解がない世の中なんて、生き辛いと思う人もいるかもしれないし、確かにその気持ちは分かる。

僕も、ずっともがいてきたし、決められたことをこなすほど、楽なコトはない。

 

けど、自分の生き方や信念を見つければ、間違いなく生きやすくなる。

ネットの情報にいちいち踊らされることも無くなるし、ぶつけられても折れない芯が出来る。

そんな状態は、自信に満ち溢れてて、毎日心を弾ませながら生きていける。

 

時にはコンパスを見失うかもしれないけど、そのときはまた「魔法の言葉」に立ち返ればいい。

 

大丈夫あなたなら出来る。

【自分らしさ】どんなしがらみがあっても、自分らしく居続ける大切さ

ちょうど先日、とある小学校に2日間、教育研修に行かせてもらった。

日中は授業を見させてもらって、授業後は放課後教室で20分の英語の授業をさせてもらうといった感じ。

 子供の時から感じてたけど、学校には学校特有の空気感がある。

うまく言葉に表せないけど、学校の敷地に足を踏み入れると、どこかスイッチが入るような、お尻の穴が引き締まるようなあの感じ。

 

けど、今の自分にとってこの空気をまとった学校や子供たちは、とにかく新鮮で成長の可能性に満ち溢れている、ある種の美しさを感じさせるものだった。

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この2日間で、ひとつ明確になったことがある。それは、

 

どこまでも自分らしく、自分の想いに愚直に生きていこう、という想い。 

 

自分らしさを大切にして、自分の想いにバカ正直に生きていく。

 

これは、学校現場に限らず、社会で心をワクワク踊らせながらイキイキと働いていくためには、とても重要なこと。

 

けど、一見こんな簡単そうなことでも、社会に出ると、急に何かが噛み合わなくなって、パタンと上手くいかなくなってしまうことが本当に多い。

 

なぜならば、人は生きていくうちに、

・色んなしがらみを抱えて、

・「守り」の姿勢に入ってしまう

から。

 

自分の想いに愚直な人は、常識の枠から外れることがあって、すると「社会不適合者」のレッテルを貼られてしまうのが今の日本。

そして、そんなレッテルを貼られることを恐れて、守りに入ってしまう人が大勢いる。

 

これって考えてみれば、何かと輪を乱せば「学級不適合者」扱いを受けてしまう、小さい頃からの学校教育と、とても似てる。

現に、怒られないために、自分らしさを抑えて、「いい子ちゃん」になってる子供もたくさんいる。

 

結局、子供から大人まで、こんなペチャンコに押しつぶされそうなほど窮屈な、日本社会で生きてるわけだけど、

これって本当におかしいし、どうにかしたい。

 

こんな窮屈な社会じゃ、自分らしさを全面に出した、本来の力が発揮できるわけがない。

 

 当然、学校の先生も色んなしがらみを背負っている。子供だけじゃなくて、保護者や学校の期待や重圧もある。  

 

気付けば、がんじがらめになっていて、自分が一体何者なのかも分からなくなっている先生も一定数いるかもしれない。

 

けど、先生自身が「しがらみフリー」な状態で、自分の想いに愚直に生きていく姿勢を背中で見せていかないと、

子どもたちはいつまでも、本当の自分を閉じ込めた窮屈な状態から解放されない。

 

だから、僕は自分にまきついてくるしがらみを、いつまでも振り払える人でいたいし、僕は自分の想いに愚直に生きていく。自由に大空をはばたく鳥のように。

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【言葉が秘めた可能性】自分の想いを実現するために、素直なコトバで発信していく

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最近、自分のコトバを研ぎ澄ますことばかり、ずーっと考えている。

そもそも、何でコトバに関心を持つようになったかというと、勝間和代さんのメルマガがきっかけだった。

読んだことがある人なら分かると思うけど、勝間さんの文章は、まるで、清らかに流れる小川の水のように、サーッと頭の中に流れ込んでくる。

 

これはなぜかというと、言葉のチョイスや言いまわしがとても秀逸だから。

それは造語であったり、比喩のおかげであったりするわけだけど、難しそうな話でも、文章を目で追ってるだけで「ふむふむ、なるほど!」という納得感が腹の底から湧いてくる。まるで、言葉に魔術がまとわりついているようで、自分の頭が良くなったような気になるのだ。そんな「勝間ワールド」にすっかり魅惑されてしまったことが事の始まりだ。

 

そんなコトバを知れば知るほど、奥が深いことが分かってきた。

例えば、同じことを伝えるにしても、言い方ひとつで相手の反応がガラッと変わる。

 

ちょうど先日、小学3年生のテニスの教え子にレッスンをしていた時の話だけど、ボールを追っかけるのが明らかに遅くて、ラケットの準備が間に合わず振り遅れていた。

これをアドバイスする時、そのまま伝えようとすると、

「ボールの場所に早く行って、早く構えてね」

と、つい言ってしまう。

 

けど、そんなことは子供も何回も言われているから分かっていて、結局体で理解できていないから、いつまでたっても出来るようにならない。

ちなみにこの時は、

ボール君との待ち合わせ場所に早く行ってあげて!喜ぶから!」

と伝えた。

 

すると、「なるほどお!!!!」っていう表情をして、徐々に行動も変わっていった。

 

人は、コトバを自分の経験とリンクさせて理解するため、経験が少ない子供ほど、自分の伝えたいことを伝えるのって凄く難しい。

この「なるほどお!!!」ってなった時も、子供は、自分が友達と遊ぶ経験を想起させたはずだ。

「集合場所で友達を待つ」っていう過去の経験が、「ボールを早く待つ」っていう外部からの情報とつながったのだ。 

 

僕自身、この時の子供の反応を見て、言葉のポテンシャルを凄く感じるようになった。

本当に探求しがいのある分野だなと思う。

僕は、これから学校現場を始めとして教育に携わっていくけど、

「子供たちの自己肯定力と自己実現力を高める」っていう自分の想いを体現していくためには、コトバを使って子供に自分の想いを心に響かせる必要があるから。

 

けど、僕は話すことも書くことも、ぜんぜん得意じゃないから、今、猛烈にコトバ遊びにはまりながら、自分の変化を楽しんでいる。

 

大好きな村上春樹の小説を読んで、最高峰の比喩や、造語、擬人化などの用法に触れて、自分の言語中枢にピリピリと刺激を与えている。

名作家さんの小説は、一文一文が精巧に練り上げられているものだってものが分かるし、人間技とは思えない比喩表現に出くわすと本当にテンションが上がってしまう。

 

こんな感じで、これからは、素直な言葉で発信していくことを意識していく。

対人においても、ここのブログにおいても、自分の心象風景をズバッと素直なコトバで表現していく。

便利なコトバに頼らずに、自分を自分のコトバでしっかりと表現していく。

それが、素直に生きていくことにつながっていく。

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